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アイコン 韓国映画界異端児が最高賞 逆境克服のキム・ギドク氏 アイコン 
文書番号:12382 2012-09-10 16:24
【ソウル聯合ニュース】第69回ベネチア国際映画祭でコンペティション部門最高賞の金獅子賞を受賞したキム・ギドク監督(51)は、非正統派映画監督から業界のトップに上り詰めた立志伝中の人と言える。

映画を正式に学んだことがなく、厳しい環境の中で雑草のように生きてきた彼の人生そのものが1本の映画のようでもある。

卓越した芸術的感覚によって自らの人生で見つけた人間の極端な側面を映画で表現し、誰も近寄ることのできない固有の作品世界を築いた。

1960年に慶尚北道・奉化郡で生まれた。家が貧しく、一般高校ではなく、公式学歴として認められない農業学校に進学した。そのため、最終学歴は中卒。学校卒業後に就職活動を行うものの、受け入れてくれるところがなく、工場で働きながらさまざまな技術を習得したという。

韓国産業化の光と影を抱えるソウルの九老工業団地(現九老デジタル団地)と清渓川はキム監督の暗い過去がそのまま残されている場所でもある。金獅子賞を受賞した映画「ピエタ」の背景となった清渓川は今でこそ市民のオアシスとして美しく整備されているが、元々は工場などが密集し、キム監督が15歳の時から働いた場所だ。その後も、九老工業団地で労働者として生活した。

こうした背景を持つことからテレビ番組でキム監督は自らを「劣等感を食って育った怪物」と表現したこともある。劣等感を克服するため、訓練が厳しいことで知られる海兵隊に入隊し、除隊後はフランスに渡り、新しい生活を模索する。

フランス南部の浜辺で肖像画を描き、生計を維持しながら本格的に油絵に挑戦するなど美術家としての才能を発展させた。

そんななか、留学先のフランスでキム監督が32歳にして初めて見た映画「羊たちの沈黙」「ポンヌフの恋人」は彼の人生を変えた。

韓国に帰ってから映画脚本を書き始め、1995年に「無断横断」という脚本で映画振興委員会の公募に当選する。翌1996年には「鰐~ワニ~」で監督デビューする。初めて映画を見てからわずか4年後の出来事だ。

極端な暴力、性暴行などを描写した彼の映画は論争を巻き起こしたが、従来の作法から抜け出し、独自の視点で制作した作品は徐々に国内外で注目され始めた。

1998年の3作目「悪い女~青い門~」がベルリン国際映画祭でパノラマ部門の開幕作として上映され、「魚と寝る女」(2000年)はベネチア国際映画祭のコンペティション部門に進出し、ポルト国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。

2001年には「受取人不明」でベネチア国際映画祭のコンペティション部門に、2001年には「悪い男」でベルリン国際映画際のコンペティション部門にそれぞれノミネートされた。「悪い男」は韓国で観客70万人を動員して興行面で初めて成功する。

翌2002年には「コースト・ガード」でトップスターのチャン・ドンゴンと作業し話題を集めた。キム監督自らも話したように、監督として評判が高まってからは国内外のトップスターが先に出演を依頼してきた。

チャン・ドンゴン、オダギリジョーらのトップスターとの作業はほとんど俳優から先に提案があり撮影したものだ。最近では「スパイダーマン」などで知られるハリウッド俳優のウィレム・デフォーから連絡があったという。

「海外の映画祭に出席すると、ホテルの部屋に俳優らがメッセージを入れてくる。忘れずにキャスティング段階で検討する」

2003年の「春夏秋冬そして春」で、韓国の青龍映画賞、大鐘賞を受賞。韓国でもついに監督として一定の評価を受ける。

2004年には「サマリア」でベルリン国際映画祭の監督賞を受賞、「うつせみ」でベネチア国際映画祭の監督賞を受賞する。世界3大映画祭で二冠王となったことで世界的な巨匠として認められる。

海外で脚光を浴びるキム監督だが、韓国では常に「非商業映画の芸術監督」「異端児」だと差別を受けてきた。

「弓」(2005年)は公開する劇場を確保できず、一カ所のみで封切りした。「絶対の愛」(2006年)は国内公開を考えていなかったが、最後に配給会社が現れ、劇的に封切りした。

キム監督はこうした非商業映画に対する映画界の実情を公然と批判し、当時最高興行作だった「グエムル~漢江の怪物」に対し、「韓国映画の水準と韓国観客の水準が合致した映画」などと非難し、物議を醸した。

2008年には自ら脚本を書き、弟子だったチャン・フン監督が演出した「映画は映画だ」が130万人を動員して興行で成功する。同映画はキム監督の作品で最高興行記録となる。

しかし、その後チャン・フン監督がキム監督と決別し、大手投資配給会社に移籍し、「悲夢」の撮影中に主演女優のイ・ナヨンが自殺シーンで実際に失神する事故などが発生し、3年間、山中で「引きこもり生活」をする。

引きこもり生活中に人間の存在と映画の意味に対して悩んだ姿をセルフドキュメンタリー形式で描いた「アリラン」(2011年)はカンヌ国際映画祭で最高賞の「ある視点賞」を受賞。ベルリン(ドイツ)、ベネチア(イタリア)国際映画祭に続き、世界3大映画祭を「制覇」した。これは韓国人初の快挙だった。

創作の喜びを再び味わった彼はついに「ピエタ」で、ベネチア国際映画祭のコンペティション部門最高賞の金獅子賞を受賞する。韓国映画の同賞受賞は初めてだ。

「ピエタ」はキム監督の18番目の作品で、残酷な方法で借金の取り立てをする孤独な男(イ・ジョンジン)の前に、突然母親を名乗る女性(チョ・ミンス)が現れ、展開される愛憎のドラマ。

映画界入り20年足らずでトップの座に就いたキム監督はメディアとのインタビューで「『ピエタ』は私にとって新しい出発だ」とコメントした。


キム・ギドク監督=(EPA=聯合ニュース)


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