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<インタビュー>日本からUターン、ミュージカル俳優パク・トンハ |
すごくオススメ
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文書番号:7999 |
2009-03-23 10:37 |
【ソウル23日聯合ニュース】パク・トンハは、韓国より日本で名の知られるミュージカル俳優だ。大学卒業後、2000年末に日本へ渡り2003年まで劇団四季に所属、その後は「エリザベート」「火の鳥~鳳凰編~」など日本の人気ミュージカルで主役を務めた。
そんな彼が、活動の場を韓国に移しミュージカル2作品に出演する。来月開幕する「キム・ジョンウク探し」に続き、7月からは「ブロードウェイ42番街」のビリー役でLGアートセンターの舞台に立つ予定だ。この夏には、韓日で同時公開される両国合作映画で、スクリーンでも韓国内の観客にお目見えする。年末まで続く「ブロードウェイ42番街」地方公演を終えた後には、日本のミュージカル「ウーマン・イン・ホワイト」「火の鳥」に相次ぎ出演し、来年には韓日合作映画を撮影する予定だ。
パク・トンハ=(聯合ニュース)
今後は韓国を中心に活動し、必要なときだけ日本に渡る考えだというパク・トンハ。日本で行ってきた、雑誌「韓国語ジャーナル」のヒアリング用CDの制作、日本人に韓国を紹介するインターネット放送には今後も携わるが、両方とも韓国で撮影・収録する。
こうした決断の理由について「韓国語で演じ、歌うことを渇望している」と明かした。「俳優は言葉で稼ぐ職業ですが、なぜ海外で、外国語で演じなければならないのかと感じることがよくありました。日本で休みなく学んでいるときには感じなかったのですが、だんだん韓国語が恋しくなりました」。2007年に一度韓国に戻り、1カ月にわたり「キム・ジョンウク探し」に出演した時の気分は格別だったと語る。
韓国内でミュージカル俳優として活動していた彼が日本へ渡ったのは、2000年の大晦日。大学の卒業証書を受け取るや、60万ウォンだけを手に日本行きの飛行機に乗った。2年ほど働きながら日本語を勉強する考えで、家族の助けなしにひとりでやり遂げると心を決め、へこたれずに生きてきた。飲み水も買えず、冬にはヒーターもつけられないほど貧しかった。劇団では、他の人たちが食事をしているときも自分だけ缶詰を食べ、「缶詰マン」というあだ名までついたと笑う。
劇団四季を経て、NHKのハングル講座で司会を務めていた彼は、2004年に日本最高のヒット作に挙げられるミュージカル「エリザベート」に抜てきされ、注目を集めるようになった。日本の舞台で本格的に活動を始めたが、所属事務所の勧めを断り、韓国の名前で通した。ファンにサインをするときにも韓国語を使い、自分が韓国人であることを日本人に印象づけようとした。
「外国で暮らしながら、俳優とは作品を分析して舞台に立つことがすべてではないと感じました。日本で放送番組などを通じて韓国語や韓国を紹介してきたように、韓国でも2カ国間の潤滑油の役割を果たしたいですね」。
< Copyright 2009 (c) YONHAPNEWS. All rights reserved. >
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