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<インタビュー>台湾グラミー賞受賞した韓国人歌手ニッキー・リー |
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文書番号:4506 |
2007-06-20 17:52 |
【ソウル20日聯合】16日に行われた台湾最大の音楽賞「金曲奨」で、最高賞に当たる最優秀男性歌手に韓国人歌手ニッキー・リー(李玖哲)が輝いた。台湾のグラミー賞とも言われる同賞の最高賞に韓国人が選ばれたのは今回が初めてだ。
受賞から3日経った19日午後、電話インタビューに応じたニッキー・リーは興奮冷めやらぬ様子だった。米国育ちのため韓国語は流暢(りゅうちょう)ではないが、受賞の喜びと台湾での活動について語ってくれた。
「台湾を訪れた当初は言葉が分からず、つらいことも多かった」というニッキー・リー。音楽をやりたくて台湾に来たが、友人もおらず孤独だった。ソロで活動したかったが、台湾のレコード会社には「かっこよくないから」と断られ、所属事務所にまで「彼に投資するな」と言われたこともあるという。
こうした苦労を経てトップ歌手に上り詰めたニッキー・リーだが、実は韓国でもデビューし、失敗した経験がある。
生後6カ月のときに両親とともに渡米したニッキー・リーは、1997年にロサンゼルスでグループ「ソリッド」のチョン・ジェユンと運命的に出会った。教会で歌っていたニッキー・リーにチョン・ジェユンが歌手デビューの話を持ちかけたという。
大学を中退し1998年に韓国で男性3人組グループ「Voice」として活動を開始したニッキー・リーだが、グループは鳴かず飛ばず。結局、2000年にソロアルバム「Saint」を発売後、韓国での活動を取りやめて米国に戻った。
「両親の反対を押し切って始めた音楽活動だったが、結局米国に戻ることになり申し訳なかった」と振り返る。米国ではチョン・ジェユンの下で作曲などを学んだが、その後チョンが「L.A. Boyz」のジェフ・ホァン(黄立成)と台湾にプロダクションを設立し、ニッキー・リーも台湾で活動するようになった。「中国語でも何語でも歌えればいい」という心境だったという。
2003年から台湾で活動を始め、ニッキー・リーの潜在能力を高く評価したチョン・ジェユンがプロデューサーを務めた。ヒップホップグループMACHI(麻吉)のメンバーとして3枚のアルバムを発売し、冷淡なレコード会社の偏見を乗り越え、2005年にはソロアルバム「Shadow」を発売した。
その後は順風満帆だった。台湾のテレビ局TVBSや音楽サイト「KKBOX」などが主催する各授賞式の新人賞を総なめし、セカンドソロアルバム「I’m Your Baby」で金曲奨の最高賞に輝いた。
知り合いが誰もいない国で歌手活動をするのは大変ではなかっただろうか。「台湾人は外国人にとてもオープンで、韓国人の僕にも親切にしてくれる。僕も韓国人として活動しているし、台湾の人々もそれを知っている」と語るニッキー・リー。
台湾では昨年ファーストコンサートを開き、次の公演も計画しているが、「いつかは韓国に戻ってアルバムを出すのが夢」と希望を語った。
金曲奨の最優秀男性歌手に輝いたニッキー・リー(所属事務所提供)=(聯合)
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